跡取り娘は、なぜ苦しいのか
「お父さんの会社を継ぐんですね」
そう言われると、事業承継は一本の道のように聞こえます。父が会社をつくり、娘が入り、やがて社長になる。外から見れば、とても自然な流れなのかもしれません。
けれど、実際にその中に入ってみると、そんなに単純なものではありませんでした。
私自身、父が経営する機械製造業の会社に後継者として入りました。そして今、中小企業診断士として事業承継に関わるようになって改めて思うことがあります。
「跡取り娘」という立場は、想像以上に複雑です。
「娘」と「後継者」、二つの立場
まず難しいのは、「娘」と「後継者」という二つの立場が、いつも同時について回ることです。
経営について意見を言えば、「娘が親に反発している」と受け取られることがある。反対に、父の判断に従えば、「やっぱり社長の娘だから」と見られることもある。
会社では経営者と後継者でありたいのに、親子という関係が消えることはありません。
「会社のためには、こうした方がいい」
そう思っていても、それを父に言うことは、他人の経営者に助言するのとはまったく違います。
経営上の意見の違いが、いつの間にか親子喧嘩になってしまう。逆に、親子だからこそ言いたいことを飲み込んでしまう。私はいまだに、M&Aの際、父が本当はどんな心情だったのか、改めてきくことができません。父を傷つけるのではないかとう想いがどこかにあるからです。
仕事と家族の境界線が、とても曖昧なのです。
「社長の娘」として社員の中に入る
そして、もう一つ難しいのが社員との関係です。
後継者として会社に入ったからといって、その日から社員に認めてもらえるわけではありません。
社員の中には、父と一緒に会社をつくってきた人もいます。私が知らない会社の歴史を知り、現場については私よりはるかに詳しい人もいます。
そんな人たちの中に「社長の娘」として入っていく。
これは、なかなか緊張するものです。
自分なりに一生懸命仕事をしていても、「娘だからこの立場にいる」と思われているのではないか。逆に認めてもらおうと頑張り過ぎてしまう。父の会社場は、社員が男性の技術者であったため、文系畑を歩いてきた私に仕事が十分理解できているとはいえず、コミュニケーションが難しい面もありました。
後継者は、最初から肩書きを持っている一方で、信頼はゼロから積み上げなければならない。
少し不思議な立場なのです。
「辞めたいから辞める」が簡単ではない
さらに、家族だからこその責任感もあります。
会社の経営が厳しくなれば、単なる勤務先の問題ではありません。
資金繰り、社員の生活、取引先との関係、そして家族の生活まで、すべてがつながっています。
「辞めたいから辞める」という選択も簡単ではありません。
- 父がつくった会社だから。
- 社員がいるから。
- 取引先がいるから。
- 家族だから。
いろいろな「だから」が積み重なり、自分自身が本当はどうしたいのか分からなくなることもあります。
私が選んだのは、M&Aという事業承継
私の場合、最終的にはM&Aによる事業譲渡という道を選びました。
「跡取り娘なのだから、自分が社長になって会社を守る」
それだけが事業承継ではありません。
会社を残すこと。
社員の雇用を守ること。
取引先との関係をつなぐこと。
そして、自分自身の人生も大切にすること。
それらを考え抜いた先に、第三者へ会社を託すという選択肢があってもいい。
私は自分自身の経験を通して、そう考えるようになりました。
「継ぐか、継がないか」の前に考えてほしいこと
中小企業診断士として事業承継の相談を受ける今、後継者の方に「継ぐべきです」と簡単に言うことはできません。
大切なのは、「継ぐか、継がないか」という結論を急ぐことではなく、その人自身がどう生きたいのか、そして会社をどんな形で未来へ残したいのかを考えることだと思っています。
親には親の人生があります。
子どもには子どもの人生があります。
親の会社を大切に思うことと、自分の人生を大切にすることは、本来、対立するものではありません。
けれど、親子だけで話していると、その二つがいつの間にか「どちらを選ぶのか」という話になってしまうことがあります。
だからこそ、第三者が必要なのかもしれない
事業承継には、家族でも社員でもない第三者が必要なのかもしれません。
経営の数字を整理するだけではなく、親の想い、後継者の想い、社員の未来を一つずつ整理していく。
私が事業承継支援で大切にしたいのは、そこです。
「跡取り娘」は、決して楽な立場ではありません。
でも、その苦しさを経験したからこそ、見えるものもあります。
会社を継ぐことだけが、親の想いを継ぐことではない。
会社を守る方法も、未来へつなぐ方法も、一つではありません。
事業承継とは、誰かの人生を犠牲にして会社を残すことではなく、会社に関わってきた人たちの想いと、これからを生きる人の人生、その両方を未来へつないでいくこと。
私は、自分自身の経験を経て、今はそう考えています。
事業承継士・中小企業診断士 中本美智子
