事業承継というと、多くの人は「株式をどうするか」「税金対策をどうするか」「後継者を誰にするか」といった制度や手続きの話を思い浮かべます。
もちろん、それらは非常に重要です。
しかし、実際に現場で事業承継に関わっていると、承継が進まない本当の理由は、別のところにあると感じます。
それは、「感情」です。
私は中小企業診断士として、さまざまな事業承継の現場をみています。実は私自身も、父が創業した会社で跡取り娘として奮闘した経験があります。
その中で痛感したのは、事業承継とは単なる経営の引継ぎではなく、人の人生や想いが交差する、とても感情的な出来事だということです。
創業者にとって、会社は単なる「仕事」ではありません。
寝る間も惜しんで働いた日々。
資金繰りに苦しみながら社員の給料を守ったこと。
家族との時間を削ってでも会社を続けてきたこと。
長年付き合ってきた取引先や、苦楽を共にした社員たち。
そして自分の技術を表現し、夢の実現を図る場であったこと。
そうした人生そのものが、会社には詰まっています。
だからこそ、「社長を辞める」ということは、単に役職を降りることではなく、自分の人生の一部を手放すことでもあるのです。
「社長」でなくなった後、自分そのものの意味がなくなってしまうような、そんな強烈な喪失感を感じるのではないでしょうか。
私の経験でも、父はいつ自分が社長の座をおりるのか、なかなか時期を明確にしようとはしませんでした。
一方で、後継者側にも感情があります。
「自分にできるのだろうか」
「父や母のようにはできない」
「社員に認めてもらえるのか」
「本当は継ぎたくなかった」
特に親族承継では、親子だからこそ本音を言えないことがあります。
会社では社長と後継者。
家では親子。
この距離感の難しさは、外から見ている以上に複雑です。
私の父も技術者で、思った事をすぐに口にするタイプではなかったので、事業を継いでほしいのか、どうしたいのか、といった本音はなかなか口にしませんでした。
こちらから、事業承継の話をすると、父を追い込むことになるのではないか、辞めたくない気持ちがわかるだけに、言い出しにくかったです。
そして、社員側にも感情があります。
長年会社を支えてきた社員ほど、「会社が変わってしまうのではないか」という不安を抱えます。
後継者が若ければ、「本当に任せて大丈夫なのか」という目で見られることもあります。
つまり事業承継とは、
- 創業者の想い
- 後継者の不安
- 社員の戸惑い
- 家族の関係性
こうした感情が複雑に絡み合うプロセスなのです。
だから私は、事業承継を支援するとき、数字や制度だけを見ないようにしています。
もちろん、財務分析や経営計画は必要です。
しかし、それだけでは承継は前に進みません。
大切なのは、「本当は何を不安に感じているのか」を言葉にすることだと思っています。
「社長を辞めた後、自分の居場所がなくなる気がする」
「父に否定されるのが怖い」
「社員に迷惑をかけたくない」
こうした本音が少しずつ見えてきたとき、止まっていた事業承継が動き始める場面を、私は何度も見てきました。
近年は、中小企業の後継者不足が大きな課題になっています。
しかし私は、単純に「後継者がいない」のではなく、「感情を整理する場がない」ことも、大きな要因ではないかと感じています。
だからこそ、事業承継には、第三者の伴走者が必要なのだと思います。
税理士、弁護士、中小企業診断士など、専門家の役割は制度を整えることだけではありません。
経営者や後継者の想いを整理し、未来に向けた対話を支えることも、大切な役割なのではないでしょうか。
事業承継とは、会社を未来へつなぐ仕事です。
そして、その根底にあるのは、いつの時代も「人の想い」なのだと思います。
中小企業診断士 中本美智子
