融資契約の日に起きた出来事から考える、事業承継を早めに始める大切さ
金融機関に勤めていた際、全国各地で数多くの経営者の方から資金調達の相談を受けてきました。今回はその中でも印象的だった出来事を通じて、事業承継に早く取り組むことの大切さについて考えてみたいと思います。
店舗改装資金の融資申込
ある地方都市の日本料理店の話です。店主は「大将」と呼ばれ、常連客から慕われる存在でした。家族経営で長男も一緒にお店に立ち、温かい雰囲気のお店です。今回、店舗の老朽化が進んだため、店舗改装資金として数千万円の事業資金のご相談を受けました。
事業規模に比べて高額な投資計画であるうえ、現在の借入については返済条件の変更(リスケ)を行っていたため、審査は難航しました。しかし、「お店を守りたい」という店主の強い思いを受け、最終的に融資が決定しました。
契約日当日に訪れた予期せぬ出来事
契約の当日、店主が来店して契約書類に署名・押印すれば融資が実行される段取りでした。ところが、約束の時間になっても店主は姿を見せません。携帯電話にも応答はなく、お店に電話しても、スタッフが「先ほどそちらに向かいましたが・・・」と戸惑うばかり・・・。
結局その日は店主と連絡がつかず、融資は実行されませんでした。
翌日、店主の長男から電話がありました。
「父が昨日、交通事故で亡くなりました。」
突然のことに私は言葉を失いました。つい数日前まで「改装が楽しみだ」と元気に語っていた店主が、まさか急に命を落とされるとは、全く予想していなかったのです。
幸い、これまでの借入は団体信用生命保険(団信)の保険金で完済されました。さらに、他に支給された保険金等を活用することで、新たに借入をせずに店舗を改装することができました。そして新しいお店は、長男が受け継ぐことになりました。
「万が一」は突然起こり得る
この出来事を通して痛感したのは、「人の寿命は誰にも予測できない」ということです。元気に未来を語っていた経営者が、翌日にはいなくなる――。これは決して特別な話ではなく、誰にでも起こり得ることです。
経営者に万が一のことが起これば、会社は一気に混乱します。従業員は不安を抱き、取引先の信用も揺らぎます。資金繰りも行き詰まり、最悪の場合、廃業を余儀なくされることも起こり得ます。
今回のケースではたまたま保険金により資金繰りが賄えたこと、一緒に働いていた長男がそのまま後継者となったことにより事業を継続できました。しかし、同じように幸運に恵まれるケースは決して多くはありません。偶然に頼るのではなく、計画的に備える必要があります。
元気なうちに進めたい、事業承継の準備
では、どのように備えればよいのでしょうか。
答えはシンプルです。経営者が元気なうちから少しずつ準備を進めておくこと。それだけで、後継者への引継ぎが円滑になり、突発的な出来事にも備えられます。
大切なのは、「まだ先のこと」と先送りにしないことです。たとえば、家族と将来のことを話してみる、書類をまとめておく、自分の考えをノートに書き出す、後継者を取引先に紹介する、専門家に相談してみる・・・そんな小さな一歩でも、事業承継の始まりになります。そうした小さな一歩の積み重ねが、将来の安心につながっていきます。
「そのうち」と思っているうちに、時間はあっという間に過ぎていきます。だからこそ、今できる一歩から始めてみませんか。
事業承継士®・中小企業診断士・司法書士 岡本 哲郎
